ズーラシア

様々な動物をみて、

人間が1番やばいと結論が出た俺は

人間観察が始まった。

 

同世代の夫婦、

離れていても10個くらいだろうか。

リアルタイムで移りゆく景色に、動物と人間。

その二軸が常に存在している。

 

アフリカの様々な動物を見終わった後、

人間が作り上げた大きなジャングルジムで親子が遊ぶゾーンがあった。

 

動物の種類や生態が描いてあるプレートにこう描いてあってもおかしくない。

【人間 】

我々、ホモサピエンスも、

この動物園内に生きている動物と同様に観察の対象であったのだ。

 

そう、この動物園は宇宙レベルの視野で見た、

様々な生き物の生態系をみる観察施設。

 

俺は思った。

社会的認知という大きな認知があるらしい。

それは、常識的に、法律的に、人として。

我々ホモサピエンスが唯一持っている力、

フィクションを信じる力。

人間のみが持っているとされる、大きな概念である。

その概念から大きく外れている。

と自分を疑ったのである。

 

常識的に考えて、

日本の動物園が宇宙レベルの視野で見た、

様々な生き物を見る研究施設なわけがない。

 

クエスチョンマークが続く状態が始まった。

どちらが正しい認知だ?

俺は自分の考えてる事が正しいのか、

根拠の無い妄想が誇大しているのかわからなくなっていた。

 

クエスチョンマークが続く状態とは、

他人から見ると、

所謂、落ち着きがなく、テンパることだ。

 

そんな時、異様なオーラを放った男二人組とすれ違った。

親子連れが多い中、40代の男2人である。

出立ちは、ウエストポーチに首から下げたキーホルダー、ペンライト、

頭にはバンダナにキャップにメガネ。

もう1人は瞳孔が開いて汗をかいている小太り半袖シャツ。

あきらかに異様だ。

 

「我々は、ここに居るんだ」

「ウッシッシ」

 

と園内の地図を指さして、颯爽と過ぎていった。

 

あまりの違和感。

しかし不思議と残る心地の良い安堵感。

俺は思った。

 

自分の誇大した妄想であろうが、

自分の中に確信がある事であれば、

そのことに向かい、

【一生懸命に生きている】

それが重要なのではないか。

 

人の事より、

自分のことを追究する。

 

その2人組を見て、俺は思った。

そうだよな。それで良いんだよな。

 

同時にものすごく客観的にも考えてみた。

俺の頭のクエスチョンマークが続く状態がなくなった時、

俺は世間からこう映るのだろう。

「やばいやつ、キテルやつ」

 

やはり冷静な視点、

社会的な常識や他者から自分を見る客観的な視点。

これは多少は大切な事なのではないだろうか。

いやもう既にやばいやつだと思われているか・・・

 

ん?

自分が誰に対して何を思われてるかを気にしているんだ?

あれ?

こんな話、前も誰かとしたような・・・

 

テンパりを超えてパラノいながらも

俺は思い出した。

授乳をどこでするか?の問題である。

 

俺は人前でおっぱいを出すのはどうかと思っていたが、

それは人からどう思われるか?

が基準になっており、そこに俺は囚われ過ぎているのでは無いか?

と思っていた問題だ。

 

人間であるはずの私の知覚が

あらゆる生き物が生きている園内で

渦を巻いている。

ぐるぐるグルグル

 

 

風の丘を抜け、

コロコロ広場の静かな池のほとり、

冷たい缶コーヒーと紙巻きたばこもゆっくり吸いながら、

俺は今までの頭のクエスチョンがうまくまとまったのを感じた。

そして、ようやくテンパりが抑えられた。

 

「我々ホモサピエンスの考え事は複雑だ。人間すげー。」

 

妻と娘みちるが寝そべってるシートに戻って俺は言った。

「良いスポットあったよ。」

 

そして池の周りを一周して、最後にキリンを見た。

やはりキリンは感動する。

個人的な主観だが、恐竜と変わらなく、すごく歴史を感じるのだ。

興奮して写真を撮って出口に向かうとポスターが貼ってあった。

 

 

どうやら、誇大妄想ではなかったらしい。

そう、この動物園は宇宙レベルの視野で様々な生き物の生態系を観察した末に、

行き着いた答えをしっかり持っている。

ズーラシア、食っていったはずが食わされた。

素晴らしい施設であった。

 

「フィーリングで生きたい。動物のように正直に、人間のように賢く。」

 

湘南台のアパートの一室、たばこの煙が窓の外の空気に広がった。

 

2023/5/20